モウコノウマは本当に野生馬ではなかったのか? ――ボタイ文化から現代の議論まで


2018年2月、米科学誌『Science』に掲載された論文(Gaunitz et al., 2018)によると、これまで“現存する最後の野生馬”とされてきたモウコノウマは、実はかつて人に飼われていた家畜馬の子孫であると発表された。

つまり「地球上に純粋な野生馬は存在しない」との結論である。しかし、その後の研究による紆余曲折は一般にあまり知られていない。

1969年を最後に野生での目撃が途絶えたモウコノウマ

動物園で暮らすモウコノウマ(筆者撮影)

モウコノウマ(Equus ferus przewalskii)は、中央アジアの草原地帯に生息していた小型で頑丈な馬である。発見者の名にちなみ、プルツェワルスキーウマ(Przewalski's horse)とも呼ばれる。

かつてはモンゴル西部からカザフスタン、中国北西部にかけて広く分布していたが、20世紀に入ると激減。1969年を最後に目撃が途絶え、野生では絶滅状態となった。
その後、世界各地の動物園に残っていた個体をもとに繁殖計画が進められ、現在はモンゴルなどで再導入が続けられている。

 

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「野生馬はいない」という報道への戸惑い

馬が好きだ。そして野生動物の存在にも強く惹かれる。

たった一種類でも「野生の馬」が存在していることは、私にとって非常に大切なことだった。そのため、「野生馬はいない」「そもそも逃げ出した家畜が野生化したもの」という報道を見たときは密かにかなりのショックを受けていた。

しかし、2021年に「そのような結論を出すのは時期尚早ではないか(超意訳)」といった旨のニュースがあったことは、あまり広く知られていない。得てして、こういった続報というものは残念ながらあまり広まらないのである。

では、なぜ2018年に「野生馬はいない」と結論づけられたのか。そして、なぜその後、それを見直す研究が現れたのか。自分なりに整理しておきたい。

――話は2009年までさかのぼる。

 

2009年:ボタイ遺跡から「最古の家畜馬」説

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長らく、「馬はどこで、いつ家畜化されたのか」は未解明の謎だった。
そんな中、2009年にイギリス・エクセター大学の研究チーム(Outram et al., Science 2009)が、カザフスタン北部の石器時代「ボタイ文化」(約5500年前)から、馬の家畜化の可能性を示す三つの証拠を提示した。

論文で提示された家畜化の3つの証拠
  1. クミス(馬乳酒)の痕跡
     出土した土器の脂質分析から、馬乳特有の脂肪酸を検出。

  2. ビット摩耗(ハミの使用痕)
     歯の摩耗が騎乗や役畜利用を示唆。

  3. 囲い込み跡
     馬を集団管理していたとみられる遺構が見つかった。

2018年:ゲノム解析で覆る「再野生化説」

次の転機は、2018年の古代ゲノム解析である。

国際研究チームがボタイ遺跡出土馬を含む数十体の古代馬骨をゲノム解析した結果、驚くべき事実が明らかになった。

  • ボタイの馬は、現代のモウコノウマと遺伝的に近縁である。

  • 一方で、現代の家畜馬(DOM2)とはほとんど関係がない。

この結果から、家畜馬であったボタイの馬の子孫であるモウコノウマは「一度家畜化されたが、その後に野へ戻った馬=再野生化した馬」だったと結論づけられた。そこから「モウコノウマは家畜の子孫であり、野生馬は存在しない」という報道へとつながった。

現代の家畜馬は馬車馬も競走馬もみんなDOM2

また、DNAの系統比較から、古代には複数の家畜化系統があったものの、現代に残るのはDOM2(Domesticated horse lineage 2)だけであることが示された。
このDOM2が現れたのは、ボタイ文化より1000年以上後の時代である。

 

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2021年:ボタイの馬は「家畜」ではなかった?

しかし2018年の結論は、さらに新しい研究によって見直されることになる。
2021年、『Nature』誌に掲載された大規模ゲノム研究(Librado et al., Nature 2021)では、以下のような「ボタイの馬は真の家畜ではなかった」という可能性が示された。

遺伝的証拠

現代家畜馬(DOM2)とは無関係で、ボタイ馬はモウコノウマの系統に直接つながっている。
もし家畜化が成立しているというのなら、その遺伝子は現代馬にも残るはずだが、そうなっていない。

考古学的証拠の再検討

ビット摩耗は自然の摩耗や別要因でも生じる可能性があり、決定的な証拠とはいえない。
馬乳脂質も「捕まえた野生馬の乳を搾った」結果かもしれない。
囲い込み跡も「一時的な捕獲」を示すだけの可能性がある。

家畜化の定義

「家畜化」とは、人が繁殖を制御し、性質や体格などを選択的に継承させることを指す。ボタイの馬はこの段階に至っておらず、野生馬を一時的に利用していたに過ぎないと考えられる。

要するに、ボタイの人々は「野生馬を捕まえ、乳・肉・移動に利用していた」ものの、「繁殖管理による家畜化」には達していなかった。
そのため、「ボタイ馬は家畜馬ではない」という新しい解釈が提示されたのである。

2024年:全ゲノム解析で見えてきた新たな像

そして2024年、ミネソタ大学などによってモウコノウマの全ゲノム配列がついに解読された。これにより、モウコノウマと家畜馬の遺伝的関係をこれまでより高精度に比較できるようになった。
この最新のデータは、モウコノウマが本当に「家畜化を経験しなかった純野生種」なのか、あるいは「過去に一度だけ人と深く関わった馬」なのかを再検証する鍵になるのではないだろうか。
馬の家畜化の起源研究は、いま新しいステージに入っている。

2025年:議論は続く。馬の家畜化をめぐる起源研究の現在地

2018年の「野生馬はいない」報道も、2021年の「再評価」も、どちらか一方で決着がついたわけではない。ビット摩耗や乳利用の解釈など、考古学的証拠は依然として再検討が続いている。

結局のところ、馬の家畜化は単一の場所・時期で完結したものではなく、地域差や段階をともなう「長いプロセス」なのだろう。

モウコノウマが“真の野生馬”か、“再野生化した家畜馬”か――この議論はいまだ終わっていない。
ただ、いずれにしてもこの馬が人間と長く関わり、現代まで命をつないできたことに変わりはない。いまのところは保全活動も世界各地で続いている。

モンゴルに戻ったモウコノウマたちは、いまも広大な草原のなかにその存在を示している。

 

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<参考>

参考文献:Outram et al. (2009, Science)/Gaunitz et al. (2018, Science)/Librado et al. (2021, Nature)/Minnesota University et al. (2024, Communications Biology)

 

野生馬、地球上からすでに絶滅していた DNA分析で判明 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

Science | Ancient genomes revisit the ancestry of domestic and Przewalski’s horses

Science | The Earliest Horse Harnessing and Milking

The origins and spread of domestic horses from the Western Eurasian steppes | Nature

プシバルスキーウマ(モウコノウマ) | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト

現存する「最後の野生馬のゲノム」が解読される | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)