東京国立博物館の馬形埴輪から読み解く、古墳時代の馬装

馬を好きになって10年以上。

でも思い返してみると、もちろん馬形埴輪の存在は知っているものの自ら掘り下げたことは一度もなかった。

現在、社会人をしながら学芸員資格の取得をひとつ目標としている私(あと2単位!)は、この夏、学芸員実習に参加していた。

実習の条件として複数の博物館を見学し、日誌を大学に提出する必要があり、その一環で東京国立博物館(以下、トーハク)を訪れた時の話をしたい。このとき初めて、私は「馬形埴輪」を改めてじっくり見ることになった。

 

※2025年の6月頃の展示のため、現在は展示の入れ替えが行われている可能性があります

 

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権力の象徴だった「馬」の埴輪

そもそも、馬形埴輪とは何なのか。

まず埴輪とは古墳のまわりに並べられていた焼き物で、武人や巫女など、さまざまな姿が象れている。特に『踊る埴輪』のイメージが強い人も多いだろう。

保渡田八幡塚古墳 (AsPJT, CC0, via Wikimedia Commons)

小学生のとき、クラブ活動で焼き物をしていた私も踊る埴輪みたいなものを作った記憶があるが、実は埴輪には動物を象ったものも非常に豊富らしい。その中でもっとも多いのが「馬」だという。

埴輪の制作自体は3世紀ごろから始まったが、馬形埴輪が登場するのは5世紀以降。

日本には野生の馬は存在せず、大陸から渡来人によってもたらされたと考えられている。馬は荷物の輸送や戦に欠かせないだけでなく、所有すること自体が権力の象徴でもあった。つまりたくさんの馬型埴輪が古墳に並ぶことは墓の主の財力を表した。

そのことをわかりやすく示すのが、群馬県高崎市の保渡田八幡塚古墳である。当時の古墳を復元したエリアでは、馬形埴輪が並ぶ情景を実際に見ることができる。

保渡田八幡塚古墳 (AsPJT, CC0, via Wikimedia Commons)

群馬県内ではこれまでに350例以上の馬形埴輪が出土しており、全国でも突出して多い。県内で出土した動物埴輪のうち約90%が馬だそうだ。古代の群馬は、まさに「馬の国」だったのである。

ちなみに私の父も群馬出身。父の実家から車でそう遠くない距離にこの古墳があるのに、いままで一度も訪れたことがなかった。……ちょっと損をしていた気がする。

東京国立博物館・平成館で出会った馬形埴輪

東京国立博物館 平成館(筆者撮影)

トーハクには本館、平成館、東洋館、表慶館、法隆寺宝物館、黒田記念館など、数多くの展示館がある。広大な敷地であるうえに、どの建物も見応えがあり、一日で全部をじっくり回るのは到底むずかしい。

そんな中、私が馬形埴輪に出会えたのは「平成館」だった。平成館とは、平成の展示をしている建物ではく、日本の考古資料を中心に展示している館である。展示内容は時期によって入れ替わるが、私が訪れたときに展示されていたのがこちら——。

群馬県大泉町出土の馬形埴輪 (筆者撮影)

これまた群馬県で出土した、6世紀ごろの馬形埴輪であった。

第一印象は「で、でかい……!」。

その大きさゆえに、当時の馬装(ばそう)=馬の装具の細部まで見て取れる。ぱっと見ただけでも、鞍、鐙(あぶみ)、轡(くつわ)、頭絡、手綱などが立体的に表現されていた。

馬形埴輪から読み解く、古墳時代の馬装

もちろん、当時の馬装にもバリエーションはあるだろうし、時代や地域によっても異なるだろう。もちろん簡略化されている部分もあるはずだ。

だが今回は展示された馬形埴輪の例に、部位ごとに馬装を見ていきたい。

顔まわり

顔まわりには、轡をつけた頭絡が確認できる。額の部分に見えるのは「面懸(おもがい)」と呼ばれるベルトのようなもの。首には手綱も表現されている。

一見モヒカンのように見えるたてがみは、トーハクの『1089ブログ』によれば、自然な毛並みではなく人の手によって整えられたものだ。自前でモヒカンヘアを持つモウコノウマに近い品種とか、そういうことではないらしい。実際、たてがみをおろした状態の馬形埴輪も出土している。なお、角のように見える部分は、たてがみを結ったもの。

【過去の記事】モウコノウマは本当に野生馬ではなかったのか? ――ボタイ文化から現代の議論まで - UMANICLE | 馬のクロニクル

背中・腹まわり

胴の側面には、泥はねを防ぐ障泥(あおり)が取りつけられている。その上に鞍、さらに人の足をかける鐙が見える。

余談だが、この障泥(あおり)が「アオリイカ」という名前の語源になったともいわれているものだ。

【過去の記事】この世でいちばん美しい障泥(あおり)を持っているのはイカかもしれない - UMANICLE | 馬のクロニクル

胸まわり

胸には、鞍を固定するための胸繋(むながい)がベルト状に装着されており、そこには馬鈴が吊り下げられている。鈴ではなく銅鐸がつけられているパターンなど装飾はいろいろあったようだ。

腰・尻まわり

腰の部分の装飾は、調べたところ杏葉(ぎょうよう)と呼ばれる鈴の一種だった。三環鈴という装飾の意味合いが強い鈴もあるが、杏葉は実際に馬具として機能するものをいう。

素人目にはこの埴輪の鈴もどちらかというと装飾的に見えるのだが、どこで判断しているのだろう。専門家に聞いてみたい。ちなみに胴体は空洞になっていて、お尻の穴は焼いたときに割れないように空いている。

尻尾にかかるベルトは、鞍を安定させるための尻懸(しりがい)である。現代のブリティッシュスタイルの馬具ではあまり見ないが、昨年見学した福島県の伝統行事「相馬野馬追」では、今でも尻懸が標準装備として使われていた。

こうして見ると、トーハクのこの馬型埴輪はかなりゴージャスだ。いわゆる「飾り馬具」を身につけており、当時の支配層が馬をいかに重要視していたかが伝わってくる。

また、てっきり埴輪は農民などが作っていたと思いこんでいたのだが、古墳時代には埴輪を専門に作る職人がいたという。馬形埴輪にじっくり向き合ってみると、非常に細かく作られており、各パーツの形や位置はきっちりと測ったように整っていた。機械を使っているのでは?と思うくらいの技術だ。これは専門職が必要なのも頷ける。

 

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馬を追えば、文化が見えてくる

馬という動物は、時代や地域を超えて人と深く関わってきた。そのため自然史系の展示はもちろん、測量、交通、芸能、玩具など、分野を超えて馬はさまざまな博物館に登場する存在だ。

トーハクの平成館で出会ったこの馬形埴輪も、そうした長い歴史の中で、馬がいかに人々の生活と文化を彩ってきたかを物語っている。

古墳時代の人びとのまなざしを想像しながら、これからも「馬の痕跡」を探していきたい。

 

<参考>

馬形埴輪 文化遺産オンライン

ColBase(馬型埴輪)

東京国立博物館 - 1089ブログ

もっと埴輪(はにわ)や古墳について学んでみよう! - 群馬県ホームページ(文化振興課)

楽しく学べる はにわ図鑑(かみゆ歴史編集部/朝日新聞出版/2024年出版)