映画『NOPE』が映し出すのは、恐怖ではなく動物と人との距離感だった(考察メモ③)

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映画『NOPE』は、カリフォルニアの牧場を舞台に兄妹が謎の飛行現象を追うSFスリラーだ。劇場公開時、予告編に惹かれたがホラー映画を一人で映画館で観る勇気がなく、配信を待って視聴した。

しかし、実際に観るといわゆるホラーとは異なる印象を受けた。現実から目を背けていたことを突きつけられる、少し胃が重くなるような作品だった。この映画は単なる娯楽にとどまらず、動物倫理、映画産業における動物利用、映画史における人種問題など、多層的なテーマを含んでいる。

▼第1回記事はこちら

映画『NOPE』に見る、リアルな牧場と馬たちの描写(考察メモ①)

▼第2回記事はこちら

映画『NOPE』に登場する連続写真「The Horse in Motion(動く馬)」の真実(考察メモ②)

※この記事はnoteに以前掲載したものを再編集しています。
※映画を観た後の閲覧推奨(ネタバレあり)

主人公OJと馬の関係性

主人公OJの馬への接し方が印象的だ。馬を支配するでも愛玩動物のように可愛がるでもなく、労働のパートナーとして馬を扱っている。OJは馬との間に一定の距離と線引きを設けながらも、彼らを尊重する関係性を自然と作り出しているように見える。

謎の飛行生物Gジャンを引きつけるため、馬を囮として利用しようとする場面では、他の登場人物が馬を「家族だ」と抗議する描写があった。このシーンは馬を倫理的に尊重すべき存在とみなす視点との葛藤を象徴していた。

映画産業と動物福祉

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グリーンバックでのCM撮影シーン。馬のラッキーが鏡面のVFXボールに驚いてしまう。このシーンで使われた鏡が一般的なか鏡ではなく、VFXボール(実写とCGを合成する前提とした撮影で使用するもの)だったことにはおそらく意味がある。映画産業において馬などの動物がストレスにさらされた状態で働かされる問題を提起しながら、同時にCG技術の発展により馬の活躍の場が奪われていることも示唆しているのではないだろうか。「特殊撮影班~!」という声が現場に響いていたのも、この一連の演出の意図的な一部だと考えられる。

以前、日本映画のホースコーディネーターをしている方に取材したことがある。その方によると、昔の映画の大きな馬群の撮影では多くの馬が活躍できたが、現在は数頭だけを走らせて撮影し、それをデジタル処理で複製して馬群を作り上げることができるという。競走馬を引退しても、気性の問題で一般向けの乗馬には適さなかった馬が、映画撮影で新たな活躍の場を見出すケースもあったそうだ。技術の発展の波が馬の活躍の場を減らしているともいえる。

馬とチンパンジーの対比

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動物福祉や動物倫理などのテーマが見え隠れするNOPE。これを表現するには馬の描写だけでも十分のようにお前らが、一見本筋とは関係のないチンパンジーの事故エピソードが繰り返し登場する。

この対比は、家畜化され改良を重ねてきた馬と、本質的に野生のままであるチンパンジーとの違いを示していると考えている。人間が適切な距離感とルールを保てば馬との共存は可能だが、野生動物との関係はそう単純ではないということを表しているのではないか。あるいは、家畜と野生動物の線引きそのものについて視聴者に問いかけているのではないだろうか。

また馬が逃走したり、(鏡を見て)暴れたりするシーンが描かれているのは、家畜化され「共存できる」とされている馬であっても、人間が完全に支配することは不可能であるということを示しているのかもしれない。

映画史と人種問題

作中で参照される馬の連続写真は映画史における重要な資料である。しかし、この実験で馬に騎乗していた黒人ジョッキーの名前は記録されていない。本作はこのことを取り上げ、映画史における黒人差別問題を示唆している。これについて別の記事で詳しく触れているのでそちらをご覧いただきたい。

詳しくは第2回記事をご覧ください>

エンドクレジットの謎

興味深いのは、これだけ作中で動物の活用について考えさせる映画であるにもかかわらず、NOPEのエンドクレジットには調教師のボビー・ロブグレンの名前しかなく、馬たちの名前や所属先が一切見当たらないことだ。

猛烈な違和感を感じたわたしは何度もエンドロールを往復した。しかし、調教師以外の動物関連のクレジットは「movie animals protected representative」(撮影での動物の人道的扱いを監視する役割)という項目があるのみだった。

出演した馬が特定されることで不要な注目を集め、ストレスに晒されることを避けたのか、あるいは動物と人間を完全に同一視すべきではないという考えの表れなのか、真意は定かではない。

『NOPE』はSFホラーの枠に収まらない、馬やチンパンジーを通して深い問いかけを含む作品だ。

現代社会では、人間と暮らす動物はすべて労働から解放され、愛玩動物として扱われるべきといったような声も大きくなっている(ように感じる)。しかし、OJの馬への接し方を見ていると必ずしもペットのように扱うことが正義なのではないようにも思え、「使役動物はすべて倫理的に問題なのか」という問いが浮かび上がる。

労働のパートナーとしての関係性は必ずしも搾取ではなく、適切な福祉と尊厳を保ちながら共存する道もあるのではないか—。この作品はそんな問いかけを残しているような気がしてならない。